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人生, 思い出

修羅の場の人間模様

修羅の場の人間模様

昭和も40年代後半か50年代前半、港町は小競り合いが良くある町だったがどちらかと言えば平和な住みやすい町だった、そんな訳で私の身辺も慣れと平穏な暮らしに甘えていた時代だった。

突然起きた友人同士の喧嘩沙汰、今になってみればつ〜んと鼻のつく郷愁に見舞われる、話して見ましよう、男が4人、女が2人の計6人、和やかな雰囲気も1人酒癖の悪い者がいると急変する、全国の工事現場を回る土木作業員、彼が口火を切った、またたび渡世の嫌な面を思い出してしまった ?

どこにいてもいっちゃあならない差別用語、それが出た! 私は随分気を遣ったが当の本人は更に声を荒げて場を壊した、言われた方はグッと堪えて我慢する、ここが我慢の限界と察した私は、「仲間同志の喧嘩はやめましょう」そして全員に座を外す事を進めたのである。

ところがすでに我慢の限界を過ぎた男が納得しなかった、スッと立ち上がって外へ出た、嫌な予感がした私は全員帰る事を勧めたのである、

気になるので見送ることにして店を出た、右手の角を5人の姿が消えると左手から1人が引き返して来た、その手には何かの入った風呂敷が握られていた、(しまった!嫌な予感が的中する)引き戻った彼に声をかけた「バカな事をしたらダメですよ」私の声に反応した男は、「なに!」と言って風呂敷から取り出した包丁を私に振り翳した。

一瞬の判断で私はツッ先を避けた、そして彼は「待て!」との罵声をあげながら5人を追いかけて角を曲がった、数分後、前代未聞の修羅の場が展開する、二つ目の角を曲がった私の目に仰向けの作業員の上にまたがった男が包丁を顔面の上に振り下ろす寸前だった。

この後は、あまり触れたくないが教訓の為、開陳する・・・!

事に望んで冷静に、これが私の生き様ですが、さすが一瞬の判断が命取りの場面である、全体を確認して私は男の注意をこちらに向けさせた! そして包丁男の右横に立って包丁を握る右手手首に添えた、

「Aさん、包丁を取ろうと思えば取れるがそんな事をしたくないから離してよ!」手首に添えた段階で関節技か、頭突きか、各急所への打撃か、手段は一瞬の間に頭に有ったが、相手の表情を見て説得に変えた。

結局、数分後取り上げて、そばで震えている女性2人の足元へ蹴って「何所かえ捨てて!」と声をかけた。

この修羅には、いろいろな思惑、!展開、後日談が有ったのだが、!ここまででやめておきます、

私が対応しなかったら、作業員は事が大きくなって病院、もう一方は刑務所、ことによれば殺人罪 ?

翌日、包丁を持った方が、店を訪れて丁重に詫びを言ったが、原因を作った男は、結局来なかった。

あれから随分と月日を重ねた、あの時のメンバーはどうなっているだろうか、元気だろうか?その後の運命は、もし生きているなら聞いて見たい! 港町が平凡ながら活気に満ちた時代だった。

人それぞれ、他人の喧嘩に身を寄せて防いだお人好しの私、包丁男が怒り狂っているのに知らん顔の通行人、110番さえもしてくれなかった薄情! まさに人それぞれである。

あなたであればどちらを取りますか、今の私の助言は、警察へ通報して、トバッチリを受けないよう逃げなさい、善意の人を責めるより、原因を作った彼らが悪いのです。

修羅の場の人間模様   !?

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