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人生

生きる道標

人に説教垂れる身ではないが、唯経験を話してあげる事は出来る、幾多の職業人間に接して、指折り数えきれない人と出会って、自分にない知識を教えられた。

これが私の生きた証、社会へ感謝しきれない思いである。

四国の片田舎、戸数250軒西陽を仰ぐ磯の香りのする故郷、芋と麦、四つ張り網で生活の糧を求めた村は人との交流の乏しい寒村だった。

少年の日の思い出、真向かいに鎮座する大島が台風の荒波を受けて、のどかな陽射しを注いでくれた、その慈恵は決して忘れてはならない村人の恩人、母なる地 大島  ! だった。

片田舎から街へ出て来てまず感じたことは人間て何と冷たいものかと言う砂を噛むような思いだった、今なら笑って話せるがその時はさすがの私も落ち込んだ。

人は、貧乏人のそばには寄ってこない、小銭ができると嗅覚が働くのか、知らぬ間に親切を装って寄って来る、これが人間の本性だと知った、虚しい思いをしましたが 

生き馬の目を抜く例えの通り華やかな街の風景とは別に人情の冷たさに愕然とした、当然ひとは助けてはくれない、自分の甲斐性だけが頼りだった。

今日あるご婦人と仕事の打ち合わせの後、雑談に興じた。

妙に感性が合うと云うのか、親切心についてという事でしたが、人には親切にしていて悪いことはない、悪い事をして嫌われたら、いつかは帰って来る、バチが当たると言われるのである。

 私も長年の経験でそう感じていたものだから、爽やかな風が心の中を吹き抜けた、続きは明日お訪ねしてのお楽しみとなった。

ご婦人自作のもち米を頂くことになった、故郷からみかんが届いたので少ないながらもお裾分けを心掛ける、親切のランデブー  

貧乏の苦労、その経験から割り出した教訓は、欲する前に与えること、お金でなかったら真心という親切を相手にプレゼント、そうすると必ず良い形が戻って来る。

無心と無欲、案外難しいが出来ぬことはない、その果てに徳の実の花が咲く、私はこうする事で人脈という宝物を得た。

困った時はこの人脈が苦境を救ってくれる、実践して経験する事だが、「Sさんが困っている、相談に乗ってあげよう!」この人様の好意が打開の道につながる、有難いことである。

世間でよくある話

子育てに貧乏して、その上保証人をしたばかりにどん底に落ちた、ところが人々の善意が乗り越える力を与え、苦境から脱出できた。私の周囲によく見聞きする話である、人を泣かすなよ、施すこと。

 

私の生きる道標である     !?

 

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