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友情

武人との  往復書簡

武人との往復書簡

子供時代からの男子を見ると不思議な足跡を見ることが出来る、

ずっと大人になるまでイケズで通す者は希で、途中凡庸になり又はおとなしい子供であったり とその変遷は面白い。

先般の同級会で再会した友にそれを見ることが出来る、

クラスの中でも強い子でいた彼はある時期を境に勉強の出来る少年に代わった、その心境の変化はどこに有ったのであろう  ?

ハ-モニカを愛する友は物静かな佇まいにその身を置いていた。

子供の教育にとって親の教育観と家庭環境が如何に大事か友の姿を追うとよく分かる。

生活に追われて子供の教育に無関心な親と、生活を切り詰めてでも子供の未来にかける親、その差は後日歴然と現われる。

子供がたとえ学校で苛めに会っても適切な方針を取れる親と子は難局を切り開くことが出来る、反対に親の無知と子供とのコミニヶ-ション不足は最悪の事態を招くことになる。

今の教育制度では難しいかもしれないが教師の資格のひとつに武道取得者というのが正にここにある。

確固たる信念のない心構えと軟弱な身体の教師では対応できないと悲観的に為る。

友が何故、勉強に打ち込むようになったのか親の教育観と本人の将来への自覚、その発露に転機が合ったのではないかと推察する。

さすがだな! 京都で過ごした短い時間に友から滲み出るオ-ラに私は尊敬の念つよく感じた次第である。

泰然自若、音なしの構え、その穏やかな佇まいは晩秋の風にたおやかに揺られていた。

一見文学青年、音楽教師、その実態は幕末の志士にも似て裂帛の気合を内包していた。

数片の往復書簡、行間に滲み出る力つよい言葉は、明治の武人に趣を重ねている、それが竹馬の友であることに私は無上の喜びを感じている。

琵琶湖湖畔、琵琶湖汽船 ミシガンの乗客は武人(彼)の吹くハ-モニカの旋律に酔いしれていた !?

 

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