広告
世界

日本の行く末

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が24日被爆地の長崎を訪れ、核廃絶のメッセージを発表した、人類始めて日本の広島と長崎が被爆した悲しみの地である。

世界は被爆国日本の願いと裏腹に、軍拡と核拡散へと向かっている、世界のマスメディアはどこも触れないが、憎しみの根底に多民族、多宗教のしがらみを抜きにしては語れない。

何かの書物で読んだことがあるが、宗教の教え次第で人間は変わる、その教えに忠実であればある程人は寛容の精神を失う、他を受け入れない、特に悲惨なのは無宗教の国家と指導者を持つ国の国民、そして世界である。

宗教があれば争いもあるが、又恐れる存在があることでブレーキが掛かる、神に対する服従と尊敬、それが崇める存在がないと言うことは、その国と指導者は恐れる存在がないことで唯我独尊になってしまう。

多民族に対する独善と神をも恐れぬ仕打ち、共産国家・独裁政権=人民の不幸、世界を見渡してみれば民主主義国家との違いが鮮明に見えて来る。

世界で唯一核を投下された日本、それ故に核アレルギーが強い国民ではあるが、核廃絶の運動と願いが叶えられることはない、更に戦勝国は理屈をつけて核兵器増強に邁進して恥じない。

不幸なことは被爆国だからこそ、二度と被害を受けてはならないと思うが世界情勢はそんな被爆国日本の苦しみに同情することはない、それどころか日本に核を打ち込む等の暴言を吐く国と独裁者さえ出て来る始末である。

二度、核を投下されるお人好し国家で良いのか、政権を担う者たちは冷徹に対峙して貰いたい。

私心を述べると原爆投下の悲劇を経験した日本としては核保有の権利がある筈だと思いもする、しかし最も求められるのは全世界の核廃絶であることは言うまでもない。

神をも恐れぬ非道国家に囲まれ、その指導者の胸三寸で核のボタンに手が掛かるこの矛盾を看過して良い筈はない、国民等しく考慮する必要がある。

人類普遍の愛、そうである世界、地球であって欲しい、されど世界情勢を考えると「備えあれば憂いなし」この諺も胸に刻み実践する必要がある。

世界はお人好し国家と指導者ばかりにあらず          !?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告